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釧路家庭裁判所広尾出張所 昭和36年(家)8号 審判

申立人 冨倉一郎 外一名

主文

申立人等の本件申立を却下する。

理由

申立の趣旨および理由は、申立人等の氏は古来より「富倉」と書き、又日常「富倉で通つておるところ、このたび戸籍を閲覧して「冨倉」と記載されていることを知つたので、日常使用している「富倉」に氏の変更を求めるため本申立に及んだものであるというにある。

按ずるに氏は名と統合して人の同一性を認識するにあたり最重要な要素をなすのみならず、さらに戸籍編成の基礎を形成する重要な意義をも有する故これが変更はその戸籍に属する者全部に及び、一般社会に対する影響も名の変更の比ではなく、軽々に変更されるときは一般人の被る損害は甚大であるばかりでなく、遂には戸籍制度の円滑な運用をも阻害する結果を生ずるので、真にやむを得ない事由がある場合でなければその変更を許すわけにはゆかないものである。

しかしてそのやむを得ない事由とは、たとえば字が極めて書き難くて読み難く、呼称を聞いても字の見当がつかず、字をみても読み方がわからないとか、呼称が他の卑猥不潔な物の名に通じたりして人を嫌悪せしめたりまたはその氏が直ちに社会的に特殊な地位や環境を連想させるものであるため、甚しく社会的に不当な不利益を被つているとか、いわゆるその氏を継続するときは人の同一性認識および戸籍編成の法的安定性を維持するにもまさる社会生活上の苦痛と不利益を被ることが明らかな理由がある場合をいうと解せられるのである。

ところで一件記録および申立人喜作の陳述によれば、申立人夫婦が宮城県伊具郡森山町から現住居地に入植した直後から、「富倉」を日常生活(手紙、農協の組合員名、実印名、子供の学校での氏名)に使用して来たものの、一方役場関係からの諸文書や、不動産の登記簿上の名称は戸籍上の「冨倉」が使用されており、また文字を使用しない単なる呼称としては申立人等および第三者も「とみくら」と呼んでいたことが認められる。

以上の事実からすれば申立人等は第三者から戸籍上の「冨倉」(とみくら)を現在に至るまで呼称されて来たというべきであるから、呼称上からの同一性認識においては「とみくら」であることには変りなく、従つてこの点からは氏を変更すべき特別の事由はなんら見出すことはできない。また「富倉」(点のあるトミの字)を日常生活の上で使用して長年月を経たというが、反面社会生活上の重要な署名記名等においては「冨倉(点のないトミの字)を使用し、または使用されたことが認められるのであるし、さらには本来「富」と「冨」とはいづれも「トミ」と発音して異るところがなく、漢字として唯僅かに点があるかないかの相異にすぎず、第三者からみればほとんどその区別を意識しない程度のものにすぎないと認むべきである。されば申立人等において今後戸籍上の「富倉」をあらためて使用したとしても、社会生活上同一性の認識その他においてなんらの痛痒を感ずることがないであろうことは充分に推認できるところである。よつてこの点からも氏変更のためのやむを得ない事由を見出すことができない。

従つて申立人等の本件申立は相当でないから、主文のとおり審判する。

(家事審判官 石丸俊彦)

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